日本製紙釧路工場の煙突がそびえる釧路の風景
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釧路の製紙産業|日本製紙と街の歩み

日本製紙釧路工場を中心とした釧路の製紙産業の歴史と現在を解説。街の発展を支えた基幹産業の軌跡と、工場跡地の活用構想を紹介します。

編集部
くしろポータル編集部

釧路市・釧路町在住の編集部が一次情報・公的機関データをもとに執筆。編集方針

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この記事のポイント

  • 1日本製紙釧路工場は1925年創業、最盛期に年間約40万トンの新聞用紙を生産し釧路経済の屋台骨を担った
  • 22021年に紙・パルプ生産を完全停止。約150ヘクタールの港湾隣接跡地の活用がデータセンター等で検討中
  • 3バイオマス発電は現在も稼働継続。製紙技術者のスキルが再エネ産業へ転用されるケースも相次ぐ

製紙産業の始まり:富士製紙から日本製紙へ

釧路における製紙産業の歴史は、1920年代に遡ります。富士製紙が関連会社を通じて着工した工場を引き継ぎ、1920年(大正9年)7月に富士製紙釧路工場としてパルプ生産を開始しました。釧路が製紙工場の立地に選ばれた理由は、北海道東部の豊富な森林資源(原料となる木材)、工業用水の確保が容易な河川の存在、そして製品輸送に便利な港湾が揃っていたためです。

工場は段階的に拡張され、パルプ生産から紙の一貫生産体制へと進化していきました。1933年(昭和8年)の旧・王子製紙への合併を経て王子製紙釧路工場となり、戦後の1949年(昭和24年)に王子製紙の解体・分割により十條製紙釧路工場へと移管されました。

戦後の高度経済成長期には新聞の発行部数が急増し、新聞用紙の需要が伸びたことで、釧路工場は増産を重ねました。1993年に十條製紙と山陽国策パルプが合併して日本製紙が発足し、釧路工場は同社の主力工場の一つとして位置づけられました。最盛期の釧路工場は年間約39万トンの紙を生産し、その大部分が新聞用紙でした(最新情報は出典元公式サイトで確認してください)。

日本の新聞社が使用する新聞用紙の相当割合を釧路工場が供給しており、まさに「日本の新聞を支える工場」でした。

釧路経済を支えた製紙産業の存在感

日本製紙釧路工場は長年にわたり、釧路経済の屋台骨として大きな存在感を発揮してきました。従業員数のピーク時については公開資料によって数値が異なるため、具体的な人数は公式資料での確認を推奨します。関連企業や下請け業者を含めると多数の雇用を創出していました。法人市民税の最大の納税者であり、固定資産税の収入も含めると、釧路市の税収に占める割合は非常に大きいものでした。

工場が消費する電力・水・燃料は膨大で、これに関連するエネルギー供給業者や設備メンテナンス業者も多数の雇用を抱えていました。

釧路港からの紙製品の出荷は港湾物流の重要な貨物であり、運送業・倉庫業にとっても欠かせない荷主でした。地域社会への貢献も大きく、工場が主催するスポーツ大会や文化イベントは市民に親しまれていました。日本製紙は社会人野球チームを有しており、地域のスポーツ振興にも寄与していました。

釧路市民にとって日本製紙は単なる企業を超えた、街のシンボル的な存在だったと言えるでしょう。工場の煙突から立ち上る蒸気は釧路の風景の一部となっていました。

紙需要の減少と工場の構造転換

2000年代に入ると、インターネットの普及やデジタルメディアの台頭により、新聞用紙の需要は急速に減少し始めました。新聞の発行部数は年々減少し、広告のデジタルシフトも相まって、新聞社は紙の使用量を大幅に削減しました。この構造的な変化は、新聞用紙を主力製品とする釧路工場に深刻な影響をもたらしました。日本製紙は合理化を進め、釧路工場の生産ラインの一部を段階的に停止していきました。

2020年11月に日本製紙は釧路工場における紙・パルプの生産を2021年8月に終了することを発表し、同年8月に約100年にわたる釧路での製紙の歴史に幕が下りました。2021年10月1日付で釧路工場は廃止され、同日付でエネルギー事業を担う日本製紙釧路エネルギー株式会社が設立されています。この決定は釧路市に大きな影響を与え、関連企業への波及も生じました。ただし、工場設備の一部については電力事業が継続されています。

電力事業(石炭火力発電を含む)は釧路エネルギーとして継続稼働しています。発電能力の詳細は最新情報を公式サイトで確認することを推奨します。

工場跡地の活用構想と地域への影響

日本製紙釧路工場の広大な跡地の活用は、釧路市にとって最も重要な課題の一つです。敷地面積は約150ヘクタールに及び、港湾に面した好立地であることから、様々な活用が進められています。2025年にはホームセンター「ジョイフルエーケー」等を含む複合商業施設「ジョイフルタウン釧路」が一部開業しました。また、国内大手製材会社による大規模製材工場の進出計画が発表されましたが、土壌改良を巡る交渉が難航し断念されたとも報じられています(2026年4月時点)。

物流施設やフードバレー構想(食品加工産業の集積)も検討されており、道東の農水産物を加工・付加価値化する拠点としての可能性が模索されています。

再生可能エネルギー関連施設の集積も有望で、洋上風力発電のメンテナンス基地や、水素製造プラントの立地が構想されています。跡地活用の成否は、釧路の産業構造転換のシンボルとなるだけでなく、道東地域全体の経済発展にも大きな影響を与えるものとして注目されています。最新の活用状況は釧路市の公式サイトで確認することを推奨します。

製紙産業の技術遺産と人材

約100年にわたる製紙産業の歴史は、釧路に多くの技術的遺産を残しました。大規模な製造プラントの運転・保全技術、品質管理のノウハウ、環境対策の知見など、製紙工場で培われた技術力は幅広い産業分野に応用可能です。実際、日本製紙釧路工場の元従業員の中には、その技術力を活かして他の製造業やエネルギー産業に転職し、活躍している人が少なくありません。

バイオマス発電の運転技術は製紙工場の蒸気タービン技術の延長線上にあり、スムーズな技術転用が行われています。また、製紙産業が蓄積した環境技術も注目されます。

排水処理技術や大気汚染防止技術は国内最先端のレベルにあり、これらの知見は環境コンサルティングなどの分野で活かされています。人材面では、製紙工場の管理職経験者が地元中小企業の経営アドバイザーとして活動するケースもあり、大企業で培ったマネジメント能力が地域の産業振興に貢献しています。技術と人材という形のない資産が、釧路の未来を支える力となっています。

製紙から新産業へ:釧路の産業転換の行方

日本製紙釧路工場の紙生産停止は、釧路にとって大きな打撃であると同時に、産業構造を転換する契機でもあります。太平洋炭礦の閉山に続く基幹産業の喪失は、一つの産業に過度に依存しない多角的な経済構造の必要性を改めて浮き彫りにしました。釧路市は国や北海道と連携し、企業誘致や新産業創出に全力で取り組んでいます。工場跡地を活用した大規模プロジェクトの実現に向けて、インフラ整備や優遇措置の検討が進められています。

一方で、製紙産業の縮小は短期的にはマイナスですが、長期的には新たな産業が芽生えるスペース(物理的にも経済的にも)を生み出したとも言えます。実際、釧路では若い世代を中心に新規ビジネスの立ち上げが増加しており、水産物のEC販売、観光ガイド事業、IT開発など多様な分野で起業が相次いでいます。

製紙の街からの脱却は痛みを伴う過程ですが、釧路の持つ港湾・自然資源・人材という強みは健在です。これらの資産を活かした新たな産業都市像の構築が、今まさに始まっています。

公式サイト・参考リンク

知っておきたいポイント

  • 1日本製紙釧路工場の歴史は釧路市立博物館で展示資料を見ることができる
  • 2工場跡地の活用に関する最新情報は釧路市のHPで随時更新されている
  • 3バイオマス発電所は現在も稼働中で、外部からの見学は要相談
  • 4製紙産業の歴史は釧路市の近代化と密接に関わるため、郷土史の文献が参考になる
  • 5跡地関連の企業誘致情報は釧路市産業推進室に問い合わせ可能

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